竜ヶ崎・自然農の会(2018.10.28)

竜ヶ崎・自然農の会(2018.10.02)

主に台風で支柱が壊れたトマトやインゲンを収穫できるだけして片付けました。

で、その上からタアサイ、山東菜、日野菜カブ、かき菜、ニンジンの他、
古くなった小豆、ひよこ豆、ゴボウ、オクラ、ゴーヤなど、
播くには季節外れのものまで一緒くたにしてバラ播き、
トマトやインゲンごと草を刈ってそこに伏せました。

今回のように、私はよく“捨てるように”畑に古い種を播くことがあります。
それはもう発芽するとか収穫できるとか一切考えずに。

農夫としては珍しいタイプかもしれませんが、
種を出来るだけ手元に置いておきたくないんです。

逆に、古くなって発芽率が著しく落ちた種を無駄にとっておく人を見ると、
“その人の人生がもったいないし、種にも失礼だ“って思っちゃいます。

これ、結構正直な話ですよ(笑)。

僕のブログの断捨離の記事にも似たようなことを書きましたが、
いらないものをとっておくことって自分を卑下してるのと同じだと思うんですよ。

いらないもの>自分の人生

って行動で示しているのと同じなわけですから。

で、なぜかそういう人って
“どうせ播くならちゃんとした条件で”
って一大イベントにしちゃう。

それでどんどんハードルが上がっていって、
でもそんなにやる気はないからまた翌年の播き時期を逃す…

そうやって“捨てられない病”をこじらせていくわけです。←かつての僕

それに種を眺めるのが大好きなコレクター(そんな人いるんかね?)ならまだマシですが、
さっき言ったようにそんなに気持ちは入っていないから、
大概は薄暗いところに押しやられて忘れられているわけで。

何つーか、そんな風に命のめぐりから隔離され、時間をかけて殺される種たちも不憫です。

だったらとっとと手放して自分自身軽くなった方がいいし、
畑に還してあげることで、もしかしたら芽が出るかもしれませんからね。
仮に出なかったとしても、他の生き物の餌になればその分だけ畑が豊かになります。

これって、僕たち一人ひとりの“やりたいこと”についても言えるんじゃないでしょうか?

それらが世に放たれ、よしんば食い物にされたとしても、
その方が全体で見れば豊かになっていることって多いんじゃないかと思います。

「やりたいんだけど、でも…」

この“でも”によってどれだけ世界が“豊かさ”を得られずに腐っていくのか…

もちろんそれによって起こるのは良いことばかりではないですよ?
同じくらいクソみたいなことも起きるでしょう。

でも経験した分だけ“豊か”にはなります。
良い悪いではなく、“豊か”になる。

だから時には
“いらないものを捨てるように、やりたいことをやること”
も大切じゃないかと思います。

綺麗な言葉を使えば、
“やりたい気持ちを手放す”ってことです。

さっきも述べたように“どうせやるなら”とこじらせちゃうくらいなら、
多少不細工な形でもやってしまって、その“やりたい気持ち”をボコボコ手放してしまった方が、
10年後、20年後、30年後…と経っていった先の豊かさは全く違ったものになるんじゃないかと思います。

それは僕たち個人個人の範囲に留まらず、
世の中全体を通してみたときもね。