12/25(火)は2018年最後の竜ヶ崎・自然農の会。
秋冬野菜の収穫をメインに行いました。
1枚目の写真は何をしているかというと、
エンドウに霜よけ用の笹を立てているのです。
こういったわさわさしたものがあると、
そこに霜が先に降りてくれて、
下にあるエンドウが守られるのだとか。
さらに春になってエンドウが伸び始めた時、
一番最初の“とっかかり”になります。
ちなみにエンドウは巻きひげを絡ませながら登っていくので、
支柱にネットや稲わらなどを結びつけて垂らしてやるのですが、
その時期は風が強いので、煽られてうまく絡まないことがあるんですね。
そんな時、地面に突き刺した笹が近くにあると、
ネットや稲わらだけよりはエンドウが巻きひげを絡めやすくなるのです。
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僕らも同じかもしれませんね。
“高みまで続いているが、なかなか掴めないもの”と
“安定感はあるが、確実に頭打ちになるもの”と
両方をうまく支えにしていくことでスムーズに生きられるのかもしれません。
(というか、多くの人が無意識にそうしているんじゃないかなと思います)
自分で望む・望まないに関わらず、これまでの安心感がなくなり、
大きな困難にぶち当たっている人。
多分それ、これまでの場所が頭打ちになったんですよ。
高みまで続いているところに手をかけられるところまで来たんです。
“高み”と言っても社会的、経済的成功などに限りませんよ?
それは“深み”かもしれません。人間としての。
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僕が5年前に通っていた安曇野パーマカルチャー塾で、
“Problem is Solution”
という言葉を教えてもらいました。
何とも含蓄のある言葉で
正直、未だにはっきりとその意味するところを答えることはできません。
問題がある時点でそれは解決できる、
だから問題とは自分を成長させるありがたいものなんだ、
というのが多くの人が想像するところだと思いますが…
でも最近、僕はこの言葉通りの意味で捉えています。
“問題=解決”
僕らにとって一番辛いことって何だと思いますか?
破産?失恋?大切な人との死別?
もちろんそれもあると思います。
でも僕は“退屈”だと思うんです。
凪、張りのなさ、虚無感、無価値観
…などと言い換えても良いかもしれません。
それらの原因ははっきり言って、さっき言った
“安定感はあるが、確実に頭打ちになるもの”
なんだと思うんです。
いわゆるコンフォートゾーン(知っていること、安心できる範囲)
に留まり続けているから、なんです。
皮肉なことに、安心できる範囲に留まり続けていると、
僕らは不安になるように出来ているみたいです。
Dr.ディマティーニの言葉を借りれば、
「僕らの不滅の魂は常に未知のものを求め続ける」のです。
つまりね、問題という名の未知の領域に自分が足を踏み入れた段階で、
僕らの魂にとって最大の敵である“退屈”は解決しているんです。
問題をやっつけることが解決ではなく、
コンフォートゾーンが拡がったことが解決なのです。
そして今回拡がった範囲はまた慣れ、飽き、
さらに未知の部分を求めるようになる。
そしてまた少し拡がり、慣れ、飽き、
さらに未知の部分を求めるようになる。
それの繰り返し。
死ぬまで。
もしかしたら死んでからも。
ポイントは“自発性(※)”です。
※望む・望まないとは異なる
自ら背負おうと決めたものしか僕らは背負えないことになっているようです。
そしてその時しかコンフォートゾーンは拡がりません。
それが“冒険”ってやつです。
皆さんは今年、冒険しましたか?
ちなみに僕は結構、冒険しましたよ(^^)
2018年も残り1日を切りました。
この機会に振り返ってみてもよいかもしれませんね。