【ディマティーニメソッド 】あの口論が実は“〇〇〇〇”だった件(セッション体験記)

 

質問です。

 

あなたが好きでやっている事に対して

A:「そうなんだね。うんうん。それでそれで?」
 と興味を持って聞いてくれる相手

B:「それってどうなの?意味あるの?」
 と疑いや否定的な意見を言ってくる相手

どちらがあなたを“応援”してくれていると感じますか?

 

カッコつけないで正直に答えて下さいね。

過去に経験したA、B両方のシチュエーションを探し、
タイムリープするように完全にその瞬間に入り込んでから
感じたままを答えて下さい

 

自己啓発やスピリチュアルをかじっていて、

「あ、ここは“すべてに感謝すべき”って答えるべき場面やな」

などと思った方は特に。

 

 

 

どうですか?

 

多くの方は

A:「そうなんだね。うんうん。それでそれで?」
 と興味を持って聞いてくれる相手

の方が、自分を応援してくれていると感じ、

 

B:「それってどうなの?意味あるの?」
 と疑いや否定的な意見を言ってくる相手

の方が、自分を邪魔していると感じた事でしょう。

 

そして、それは実はとても不安定で危うい状態です。
(理由は後ほど)

 

僕も自分の母親に対して
例に漏れず、そう感じていました。

 

そう、あの日までは。

 

これから僕があなたにシェアするのは、
上記のような認識が一変した事件についてです。

 

このブログで度々登場する“アレ”によって。

 


母の“僕を傷付ける行動”が実は…


“アレ”とはタイトルにもあるディマティーニメソッドです。

もうお馴染みですね(笑)

 

「ディマティーニメソッド?なにそれおいしいの?」

という方は、

を併せてお読み下さい。

まあ読まなくてもこの先にお進み頂けますが、読んだ方が吉です。

ちなみに先の質問にて多くの方が答えるであろう状態が、
なぜ“とても不安定で危うい”のかも上記3つの記事に書いています。

 

では早速、先に述べた事件の詳細についてお話ししましょう。

 

さる3/27(水)の夜にディマティーニメソッド(以下DM)
ファシリテーター仲間であるRさんにお声掛け頂いて
3時間ほどのDMセッションをしました。

 

Rさんは1月末のDMファシリテーターの研修後に
すでに何人もファシリテートしたとのことでしたので、

今回は僕がRさんにファシリテートしてもらいながらDMの
誰か(※)に対するネガティブな感情を中和するワーク
を行う形となりました。

※“世の男性”とか“クラスの皆”みたいな不特定多数ではなく、
“中津響”とか“ジョン・F・ディマティーニ”みたいな特定の個人
という意味での“誰か”です。

 

で、その「“特定の個人”に誰を選んだのか」ですが…

ちょうどセッションの10日程前に実家に帰った際に
母親とプチ口論になったんですね。

なので長年積もりに積もった、
母親へのネガティブな感情を解消することにしました。

正確には、母親自身に対してではなく
母親のとった何らかの“行動”に対して、
僕はネガティブな感情を抱いているので、
まずはその行動が何だったのかを探っていきました。

 

その結果、件のプチ口論の際の

“僕のやっている事に興味を持って聞いてくれず、
頭ごなしに否定的な事を言ってきた”

という母の行動によって僕は
「傷付けられた!」と感じていたことが分かったんですね。

 

で、DMのワークシートの中に

自分がネガティブに感じている母のその行動
自分や周囲にどんなメリットを与えていたか

という質問があるのですが、
ファシリテーターのRさんに導いてもらいながら
この質問に答えていった結果…

 

自分がネガティブに感じている母のその行動

実は自分の論理的思考説明的な喋り、文章などに
多大な影響を与えている

という事が分かったんです。

 

僕のブログを読んでくれたことのある方は
お分かりになるかと思いますが、
とにかく長い!(笑)

色んな角度からツッコミを入れつつ、
それに答える形で文章を構築していくと
どんどん文量が増えていくんです。

(しかも後から気付いて表現を変えたり、
補足説明を付け加えたりもしますし)

 

でもFacebookなどで記事をシェアしても
たいして“いいね!”が付くこともなかったので

「あんまり必要とされていないのかなぁ」

と虚しさを感じてしまって、

 

“論理的思考”が母の行動からもたらされたのは認める。
そして確かにそれは強みかもしれないけれど…
別に誰も救ってないし、もっと凄い人はたくさんいるからなぁ」

と、それが果たして自分にとってのメリットなのか
答えた後で疑問に感じた部分もあったんです。

 

でもね、その時にRさんがとある話をしてくれたんです。

 


Rさんから知らされた衝撃の事実


僕は1月末のDMファシリテーターの研修後に
Facebookにそのレポート的な投稿(※)をしていました。

※ちなみにその投稿を再編集した記事がコチラ

 

でね、その投稿をRさんがシェアしてくれていたんですが…

 

何と冒頭で述べた
Rさんがファシリテートしたご友人の何人かは
そのシェアされた僕の投稿を見たことで
DMにご興味を持ってくれたとのことだったんですね。

それによって彼らはRさんにDMセッションを依頼し、
感謝の涙を流すくらい救われたみたいなんです。

 

ということはですよ?

彼らを救うことに僕が間接的に関われた

って事じゃないですか。

少なくとも“別に誰も救ってない”ってじゃないですか。

 

その僕の文章ってどこから生まれたの?って言ったら…

僕の母親が 
“僕のやっている事に興味を持って聞いてくれず、
頭ごなしに否定的な事を言ってきた”から

じゃないですか。

 

別に論破したり、説得したりするためではありませんが
しょっちゅうセルフツッコミもとい、
脳内シミュレーションをするようになったのって、
母のその行動があったからなんですよね。

 

ってことはですよ?

僕の母は彼らを救う事に関与している

わけじゃないですか。

 

これってすごくないですか?

もちろん彼らが僕の文章に何かを感じてくれた要因は
論理性だけじゃなかったとは思いますけどね。

もしかしたら論理性はそこそこで、
本当は“心”の部分だったのかもしれませんし。

 

ちなみにDM的には
“伝聞”による情報をあてにするのは推奨されておらず、
あくまでも“僕が直接、認識した”事だけを頼りにしなくてはなりません
(事実である保証がないからですね)

ですから、ここでは実は嬉しいだけで
まだ「感情が中和された!」という感覚ではなかったんです。

勿体つけてゴメンなさい(汗)

 

でも、ここからデカイのが来たんです。

 


あの瞬間、母とは正反対の行動を示していた人がいた


特に気付きが大きかったのはこの後に登場する
“シンクロニシティ(共時性)”の法則に基づく質問。


「人間万事塞翁が馬」
「禍福は糾える縄の如し」
といったように、
ある期間を通してみれば
ポジティブとネガティブが同量存在する的な教えは
僕たちが昔からよく知るところですよね。

 

ですがここで言うシンクロニシティ(共時性)の法則とは
“1年間”とか“1週間”とか“1日”みたいな“期間”ではなく、
“2019年3月17日21時30分50秒”みたいな“瞬間”においても
ポジティブとネガティブが同量存在するというものです。

この根拠になっているのは
量子論における“量子もつれ”という現象なのですが…

アレルギーを起こす人がいそうなのでここでは割愛します(笑)。
(気になった方はググってみて下さい)

 

要するにですね、
時間差をおいてポジティブとネガティブのバランスが取れるのだとしたら

「良いことがあったから今度は悪いことが起きるに違いない」

「これだけ悲惨な目に遭ったんだから、あとはハッピーなことだけが待っている」

みたいな心持ちになりがちですよね。

 

まあ、部分的にはこれは真実なんです。

 

これが僕たちの人生に何を与えてくれるかというと、

「長い目で見たらプラスマイナスゼロなんだから」と
必要以上に不安を感じたり、期待しすぎたりせずに
長期的視野に立って生きていくことが可能になる

ということではないでしょうか?

 

でも、ここでひとつ疑問に思いませんか?

その“良いことがあった瞬間”“悲惨な目に遭った瞬間”においては
ポジティブとネガティブのバランスはどうなっているんだろう?と。

 

“良いことがあった瞬間”は絶対的にポジティブに偏った瞬間で、
“悲惨な目に遭った瞬間”は絶対的にネガティブに偏った瞬間で、

そのバランスは時間が経過しないと取れないのでしょうか?

 

実は違うんですね。

 

そのどちらの瞬間においても
ポジティブとネガティブは完璧なバランスを保っているんです。

僕らがポジティブとネガティブの
どちらか一方だけを認識しているだけで。

 

つまり、
「良いことがあった!」とあなたが認識したまさにその瞬間
それと正反対の悪いことが起きていたし、

「悲惨な目に遭った!」とあなたが認識したまさにその瞬間
それと正反対のハッピーなことが起きていたんです。

 

このように
あらゆる瞬間において完璧なバランスが存在する
と確信できたら…

あらゆる瞬間においてプラスマイナスゼロなんだから」と
必要以上に不安を感じたり、期待しすぎたりせずに
すべての瞬間生きていくことが可能になる
ということです。

まさに“今この瞬間”を生きることが出来るわけです。
将来のためのリハーサルでなく。

さらっと言ってますが、
これがどれだけ素晴らしいことなのか、伝わりますかね?

 

さて、伝わったと仮定してDMの体験談に戻りますね。

ここで僕に投げかけられた質問は、

僕の母親が
“僕のやっている事に興味を持って聞いてくれず、
頭ごなしに否定的な事を言ってきた”まさにその瞬間、

“正反対の行動”を示していたのは誰か?

というものです。

 

これは頭で考えちゃダメなんですね。

景色、音、体感温度、匂いなどを感じるほどに
その瞬間にもう一度入り込むんです。

 

しっかりワークをやっていれば
その瞬間に正反対の行動を示している人を感じるものなんです

 

色んな人が浮かんできましたよ。
その場にはいなかった人も含めて、です。
(先に述べた量子もつれにおいて、空間の隔たりは関係ない)

父親、10年来の歌の先生、親友…

 

でね、最後に母方の祖母の顔が浮かんできたんです。

この瞬間、僕の目から感謝の涙が溢れてきました。

 

ある時期から耳が遠くなり、
最近ではちょっと認知症もあって

「響はいくつになったの?結婚はまだなの?
結婚式には呼んでね」

と会う度にサンプラーみたいに20回くらい繰り返す祖母。

 

それでも、

「ああ、おばあちゃんはあの瞬間、
 理解してくれていた、応援してくれていたんだ」

って感じたんです。

 


あの口論は実は“〇〇〇〇”だった


「ふーん、でもそれってただの直感だろ?
 単なる想像で、事実無根じゃね?証拠はあるの?」

って思うかもしれませんね。

 

DMの質問に対する回答は時に因果関係や、
それこそ論理性など皆無なように感じる事だったりします。

(もちろん根底には論理があるのですが)

でもその瞬間にきちんと入り込んだならば、
すなわちこの場合は母がその行動を示したことを
“僕が認識した瞬間”に働いた直感こそが、
実は一番正しいのだとDr.ディマティーニは仰っています。

 

冒頭の質問を覚えていますか?

そしてその際、僕が

「タイムリープするように完全にその瞬間に入り込んでから
感じたままを答えて下さい。」

と付け加えたのを。

 

その瞬間に入り込む

あるいは

その瞬間に行く

 

これこそがDMのあらゆる質問に答える際に大切なことなんですね。

“思い出す”ではダメなんです。

なぜか?

 

現在から過去を思い出す、という時、
僕らは顕在意識の範囲だけを探しています。

それすなわち、
無意識に解釈を与えて作り出したファンタジー(幻想)
を見ていることが多いのです。

 

後ほど説明しますが、DMは潜在意識に押し込んでいる記憶
もう一度顕在意識に引っ張り出すことで

ポジティブやネガティブといった認識の偏りを中和する科学です

 

そのためには現在から過去を思い出すのではなく、
それが起こった瞬間に行って事実を確認するのが一番正確なのです。

 

「タイムリープマシンでもない限り、無理だろそんなの」

って思うかもしれませんが、これは出来るんです。

 

強烈な感情とともに脳内に格納された記憶は
その感情をマーカーにすれば追体験できるものなんです。

その時、見えていたはずなのに
無意識に見ないようにしていたもの
ふいに見えることがあります。

その時、ポジティブな面だけ、
あるいはネガティブな面だけしか見えていなかったのが、
実は完璧なバランスを持っていたと確信する瞬間
があるのです。

それすなわち自身の認識が変容する瞬間です。

 

これがDMにおけるブレイクスルーと呼ばれるものです。

 

ブッ飛びすぎてて信じられませんか?笑

まあ、お気持ちは分かります。

 

でもここで肝心なのは、
自身の認識がニュートラライズ(中和)されることです。

タイムマシンが開発されて、実際にその瞬間に行ってみたら
「何だ全然違うじゃねえか」なんてことも
もしかしたらあるかもしれません。笑

 

あるかもしれませんが…

仮にそうだったとしても、このワークによって
自身の認識を変容させる事は可能です。

本来の姿、ありのままの自分を生きるために。

そして、それこそがDMの目的だと僕は理解しています。

 

 

話を続けますね。

 

セッションも大詰め。
いよいよ最後の質問になりました。

ここでは、僕の母が
“僕のやっている事に興味を持って聞いてくれず、
頭ごなしに否定的な事を言ってきた”

と僕が認識したその瞬間にもう一度行き、
もしも母がその瞬間に正反対の行動を示したとしたら…

すなわち僕的には「こうして欲しかったのに!」という行動
母が示していたとしたら…

その瞬間から現在までにどんなデメリットがあったのか
を挙げていきました。

 

これも頭で考えるのではなく、その瞬間に入って(※)答えます。
何よりも“確信感”がキモです。

※感情を頼りにその瞬間に入っていくので
実はワークが進むごとに入るのが難しくなっていきます。
感情が中和されていってしまうからですね。

 

もちろん先に述べた“論理性”などが培われなかった
というのも出てきました。

ただ、これは母がその行動を取ろうが取るまいが、
結局僕はそうなっていた、という気もしました。

その行動が確実に影響を与えてはいるものの、
トリガーではないという感じですね。

 

さっきも言ったように“確信感”がキモなので、
「こうしてほしかったのに!」という感情が完全に中和されるまで
10個、20個と答えを挙げていきます。

 

するとね、ふと

“自分の発言に縛られてプレッシャーで潰れていた”

というのが出てきたんですよ。

 

僕は言うても幼少期から社会人になっても、
たぶん今でも基本的に“良い子”ですから
“有言実行”できないと自分を責めてしまう傾向が強いんですね。

 

だから出来るか分からないことをあまり口に出さないんですが…

 

もし、母が
「うんうん、そうなんだ」
「それでそれで?」「へーいいねそれ」

なんて言いながら僕の話に同調してくれていたとしましょう。

僕は持ち前の論理性を育成も発揮もそこそこに、
たいしてシミュレーションもしていない発言をし、

「言ったからにはやらなくては…」という謎のプレッシャー
それが出来なければ発言を撤回する度に無駄な罪悪感を抱え、
とっくの昔に自分自身を信頼出来なくなっていた気がするんです。

 

ということはですよ?

母が「あーでもない」「こーでもない」と言うことは
実は僕の論理や行動の矛盾や不備を補ってくれていた
と捉えられませんか?

対立していたようで、
実は一緒になって考えてくれていた
と受け取れませんか?

 

つまりね、あれは口論ではなく“戦略会議”だったんです。

 

これに気付いた瞬間、また感謝の涙が零れてきたんですね。

祖母だけじゃなく、母も応援してくれていたんです。

 

いや、実際に母は僕を応援するような発言もしてるんですよ?

別の瞬間にも、その瞬間にも。
僕は確実にそれを認識しているんです。

 

でも無意識に見ないようにしてるんですね。

 

さらに言うと、

「うんうん、そうなんだ」
「それでそれで?」「へーいいねそれ」
 
と興味を持ってくれたことも同じだけあるんです。

 

それなのに母はいつも
“僕のやっている事に興味を持って聞いてくれず、
頭ごなしに否定的な事を言ってくる”
過剰なレッテル貼りをしちゃっているんです。

 

そればかりか枕詞には“僕は違うけど”が付いているんです。

でもこれもワークを進める中で、
僕自身もまったく同じ行動をとった瞬間があった事を確信しました。

 

そしてそれを示された誰かにとっても
デメリットと同じだけ、メリットも与えていたと。

 

繰り返しになりますが、
DMはこのように潜在意識に押し込んでいる記憶
もう一度顕在意識に引っ張り出すことで

ポジティブやネガティブといった認識の偏りを中和する科学なのです。

 


本来すべてはニュートラル=ゼロ=ラブ(愛)


“物事は僕たちが認識を与える前はニュートラルです。

ニュートラルとはゼロ
テニスで言えばゼロ点はラブです。
ラブとは言わずもがな日本語で“愛”ですね。

 

すなわちプラスでもマイナスでもない、
完璧にバランスが取れている状態のことを
と呼ぶのです。

そして僕らは
世界は完璧にバランスしている事を確信できた瞬間

自然と涙を流してしまうものなのです。

(これは僕の知りうる限り、これまでDMに接してきた全員が認識している事実)

 

そこには何とも言えない感謝があります。

それは「すべてに感謝しましょう」なんていう、
古い自己啓発や似非スピリチュアルにありがちな
“意図的な感謝”ではなく

涙とともに勝手に溢れてきてしまう感謝

 

そして、そこにはしかありません。

「お前を愛してるぜベイベー」みたいな
特定の誰かに対する“好き”の上位版的な
“ポジティブな愛”ではなく

“誰に対して”とか、“何に対して”
などのベクトルが存在せず

好きとか嫌いと言った感情が雲だとしたら
秋晴れのどこまでも青く、そして高く、
完璧に澄み切った空のような“愛”

本来、愛は常にあるんです。
ここにも、そこにも、あそこにも。

 

どこにだって、この世にはあるんです。

たとえ梅雨でも空が存在するように

(そう言えば仏教では空(くう)と呼ばれる状態がありますね。)

 

しかしながら僕らは自身の価値観によるジャッジ
そしてそこから発生する感情という雲によって
それが見えなくなってしまうんですね。

 

でもその雲が晴れた時、もはや相手に
今回の僕の場合は母に対して

「変わって欲しい」

とか、


「ここを直して欲しい」


って思いようがなくなる
んです。

(変わって欲しいと思っちゃう場合はDMのワークが不十分)

 


“幸せな人生”より“〇〇ない人生”を


という事で、僕のDMセッション体験記でした。

 

別のDMに関する記事をお読みになった方からすれば

「前にも似たような事やってたじゃん。進歩ねーな。」

って思うかもしれませんね。

 

ここで忘れないで欲しいのは、

特定の個人
へのポジティブorネガティブな感情の中和それ自体が、
別の特定の個人に対してのポジティブorネガティブな感情の中和を意味するわけではない

という事です。

 

もちろんあなたにとって
ポジティブorネガティブへの感情の偏りが大きい相手ほど
DMの対象に選んだ際の自身の変容の度合いは大きいです。

しかしながら別の特定の個人に対しては、
また別途DMをかけなければ中和できないことが多いのも事実です。

 

ですから気になった方はぜひこの体験談を読むだけで終わらせず、
ご自分でもDMを経験してみて欲しいと思います。

 

それにそもそもの話をすれば
僕は僕の、あなたはあなたの肉体という
“こっちとあっち”がはっきりした“分離”の産物を
乗りものとしているわけですからね。

そう簡単に全てを悟る(統合できる)なんてこと、ありえないんです。

 

でも、それでいいんです。

全てが統合された状態をワンネスと呼びますが、
これはエヴァンゲリヲンでいうところのL.C.Lに溶けてしまったようなもの。

 

何ひとつ足りないものはなく、何ひとつ不自由はありません。

でも、足りないことを感じる心と身体は足りず、
不自由を味わう自由がありません

そう考えると僕らは不足や不自由を味わいながら
真実は不足や不自由などなく完璧なバランスのもとにある
感じたり、思い出したりするために
わざわざ“分離”してきたとも言えます。

ゲーム実況における縛りプレイみたいなもんです(笑)。

 

ただし、そうは言ってもブレイクスルーを体験する度、
すなわちニュートラル、ゼロ、愛を体験する度、
僕らのコンフォートゾーンは間違いなく拡がっていきます

関連記事:
【コンフォートゾーンを拡げる】“ありのまま”と“今のまま”は違う

 

すなわち意識の拡張、というやつです。

そして実はそれは自分以外の何かになっていくプロセスではなく、
どんどん本来の姿、ありのままの自分になっていくプロセスなんです。

 

これが何とも飽きないことんですね。

 

別にあなたがDMに興味が無かったとしても、
好奇心に従って未知のものに触れる瞬間って
最高でしょう?飽きないでしょう?

たとえば飯を食うのも忘れるくらいどハマりしているゲームなら、
どんどん次のステージやストーリーに進みたくなるでしょう?

それと同じです。

 

これは持論ですが、究極のところ

幸せになんてなれなくてもいいんです。

生きることに飽きなければ。

 

僕は僕にとっての飽きない人生

あなたはあなたにとっての飽きない人生を、

 

“分離”を卒業するその時まで、
すなわちこの肉体が滅ぶその時まで、

 

目一杯生きてみようじゃありませんか。

 

この場を借りまして、素晴らしい気付きを得るきっかけをくれた
ファシリテーターのRさんに心より御礼申し上げます。

 

そして最後までご覧頂いたあなたに感謝致します!

素敵なムカデライフを。

 

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