前回はリスク分散の観点から見た
“自給菜園”の有効性についてお話をさせて頂きました。
食べ物を自給する事に少しでもご興味が湧いてきていたら
発信者としては嬉しい限りです。
まだの方はこちら:
【自給菜園】株にしますか?それとも蕪(カブ)にしますか?
そして前回のラストでも述べたように、
次の段階としては
「で、どうやって育てるの?」
あるいは、
「どうせ育てるなら無農薬がいいんだけど…」
といった疑問や要望が出てくるんじゃないかと思います。
そこで今回、次回と2本に渡って、
僕が実践している自然農について語ってみたいと思います。
先に申し上げておくと、
“無農薬で野菜を育てる”という行為ひとつとっても
世の中にはたくさんの方法があります。
今回の記事は僕が好んで探求している以上、
自然農をオススメしているように聞こえてしまうとは思いますが、
決して答えはこれだけではないという事もあらかじめご理解下さい。
さらに言えば自然農についても現在の僕の考え方、やり方が
創始者の川口由一さんと完全一致するわけではないと思われます。
それでも僕が「自然農をやっている」と公言している理由も
今回述べておきたいと思います。
というわけで前編、つまり今回は
「“やり方”としての自然農」
についてお話させて頂きたいと思います。
とは言っても、“種の播き方”や“草の刈り方”など、
実際的な農作業について話し出すと細かくなっちゃって大変なので…
自然農の“農法的な部分”での特徴(※)と
「なぜそうするのか?」という理由となるメカニズムについて
お伝えする事にしました。
※あくまで一般的な傾向であって、
「こうしなければならない」という類のものではありません。
特にこの“メカニズム”の話は
僕らの人生観、世界観を変えてくれる可能性があります。
例えば健康の分野で、
あるいは子育てや学校教育などの分野で
何らかのヒントを得られるかもしれません。
何故なら僕ら人間にも
“自然”という、全く同じメカニズムが働いているからです。
ですので、自給菜園にご興味がある方も、
まだそうでもないという方も
ぜひ最後までお付き合い頂ければと思います。
そして予告しておきます。
今回の記事を読んだあなたはきっと今後、
草むら、あるいは雑木林の中を歩いた時に…
思わず“ある行為”をしてしまうはずです。笑
似たような名前の“農”が色々あるけれど…
「自然農って草ぼうぼうの中に粘土団子投げるやつですよね?」
とか
「私も中津さんに影響されて、奇○のリンゴの映画見ました!」
などなど、多くの人にとっては
自然農、自然農法、自然栽培などがゴッチャになっているようです。
(まあ、そりゃそうですよね)
これらは端的に言えば創始者が違うのです。
そしてその創始者によって考え方、やり方が異なる、
ということですね。
その中でも僕が実践しているのは
川口由一さんという方が確立した“自然農”というものです。
方法論としての自然農の特徴は
- 耕さない
- 草や虫を敵としない
- 肥料農薬を必要としない
- 命に沿い、従い、応じ、任せる
です。
その他に「自然〜」と名のつく“農”の代表的なものと
それぞれの創始者は以下の通りです。
- 自然農法:岡田茂吉さん
- 自然農法:福岡正信さん
- 自然栽培:木村秋則さん
(岡田さんと福岡さんは同じ自然農法という名称でも、
考え方的、やり方的に全くの別物と捉えてよいでしょう)
それぞれの特徴についてはここでは述べません。
僕自身が探求しておらず、
創始者や継承者にお話を聞いたわけでもない“農”について
この場で語るのはあまりフェアじゃないかなとも思いますので。
(気になる方は調べてみて下さい)
あとここで、
慣行農法と有機農法についても軽く触れておきましょう。
慣行農法とは「慣れた行い」と書くように、
いわゆる近代農法の事を指します。
これは音楽で言えば“ポップス”のような概念なので、
農法的にも非常に幅広く、「これが特徴」と言い切るのは難しいのですが…
基本的にはトラクター等で耕したり、
化学肥料や農薬を使用する事を許容しています。
今現在、僕らがスーパー等で見かけるお米や野菜等の
大部分を占めているのがこの慣行農法によって育てられたものです。
(というか大部分を占めるから“慣行”なんですけどね)
そして有機農法とはざっくり言えば化学肥料と農薬、
遺伝子組み換え技術等を使用しない農法です。
肥料分については化学的に合成されたものは用いず、
いわゆる有機肥料を用います。
なお農薬については
一部の自然農薬と呼ばれるものは使用可能です。
ただし、無農薬・無化学肥料であれば
有機農法と名乗っていいわけではなく、
“有機JAS規格”という明確なガイドラインが存在します。
(先の有機肥料や農薬の定義もここに存在します)
お米や野菜を買う際に、
パッケージに“有機JAS規格”のマークが付いていれば
それが有機農産物である事の証明です。
ちなみに“有機JAS規格”においては
有機農産物を以下のように定めています。
「生産から消費までの過程を通じて
化学肥料・農薬等の合成化学物質や生物薬剤、放射性物質、
遺伝子組換え種子及び生産物等をまったく使用せず、
その地域の資源をできるだけ活用し、
自然が本来有する生産力を尊重した方法で生産されたもの」
ですので、上記条件を含めた、
“有機JAS規格”をクリアしている農法が有機農法、
という事ですね。
“やり方”としての自然農の特徴とメカニズム
さて、それではいよいよ自然農とはどういったものなのか
についてお話ししていきましょう。
先ほども少し触れましたが、自然農とは
奈良県桜井氏にお住まいの川口由一さんという方が確立した“農”で、
- 耕さない
- 草や虫を敵としない
- 肥料・農薬を必要としない
- 命に沿い、従い、応じ、任せる
を主な特徴としています。
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■ 耕さない
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僕らは野良仕事と言えば“耕す”というイメージがありますよね。
ではなぜ耕すのかについてお考えになった事はありますか?
「そりゃあ…土を柔らかくするためだろ?植物が根を伸ばしやすいように。」
「雑草が生えないようにするというのもあるよね。」
「そこに土があるから(キリッ)」
そうですね、正解です(白目)。
にも関わらず、農法的には“耕さない”という自然農。
それでは土がカチコチになって作物が育たなくなるんじゃないかと思いますよね?
では、耕さないでいると、
その場の環境はどのように変化していくのでしょうか?
これを示したものが以下の図1になります。
図1:植物遷移(サクセッション)
まず①耕された畑においては草も生えていません。
こんな事言うとアレですが、環境的には砂漠に近いです。
寒暖の差が激しく、生物の多様性にも乏しい状態です。
でも耕さないでいると草が生えてきます(※)。
※森林生態学的な植物遷移(サクセッション)においては、
砂漠と草原の間にも色々あるのですが…今回は割愛します。
耕された畑は砂漠とはちょっと異なりますからね。
草の根が徐々に硬い土を侵食し、
隙間の多いホロホロとした土壌に変えていきます(“団粒化”と呼びます)。
つまり、わざわざ人間が耕さなくても草が耕してくれるんです。
その草を根こそぎ取って、さらに耕してしまうとどうなるか?
当然、さっき述べた恩恵が得られなくなります。
そればかりか、草の根が行き渡る事で維持されていた
フカフカした土の構造(“根穴構造”と呼びます)が崩れるわけです。
ですからひと雨降るだけで
練ったセメントのように隙間のない土になってしまいます。
植物も呼吸していますから、
根の周りにはある程度の空気が必要なんです。
そのためには人間が耕すよりも、
草に耕してもらった方が省力的で、
なおかつ長期的に見ても理想的な状態(※)が続きやすいのです。
つまり“(本当の意味で)耕す”ために、耕さないのです。
※ここでは物理的な理想状態についてしか述べていませんが、
実は後述する諸々の恩恵により、生物的にも、化学的にも
理想的な状態が形成されます。
ただ、非常にマニアックな話になるので、
今回はざっくりした説明のみに留めさせて頂きます。
気になる方は(ry
ちなみに先の図1についてですが…
※「図1までスクロールするのがタルい」という人のために↓
図1:植物遷移(サクセッション)(再登場!)
②草原の後は徐々に低木が育つようになり(③低木林)、
その後は比較的光を必要とする陽樹が森林を形成し(④陽樹林)、
最終的には比較的光を必要としない陰樹が森林を形成します(⑤陰樹林)。
(陰樹林は陽樹林の影でも育つため)
この⑤陰樹林が植物遷移(サクセッション)における
極相(クライマックス)と呼ばれる状態です。
原生林などはこの状態ですね。
ただ、地すべりや山火事などの自然要因のほか、
人間や虫、動物などの手が入ったりする事で陰樹が消失すると、
またその状態から⑤に向かって遷移が起こっていきます。
このように植物相というのは
- 放任すれば陰樹林(図1の右方向)へ
- 撹乱すれば砂漠(図1の左方向)へ
進むとされているのです。
自然農では日当たり、風通し、管理のしやすさなどを考慮して、
放任と撹乱を微調整しながら②草原の状態に畑をキープし、
その環境で作物を育てるというのが特徴のひとつです。
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■ 草や虫を敵にしない
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草を敵にしない理由についてはもうすでに述べた通りですが、
草が繁茂する事でその周りでは多様な虫達や微生物達が繁殖し始めます。
それにより、
“食べたり、食べられたり”というバランス(拮抗状態)
が生まれます。
そのバランスの下では、ある特定の種類の虫や菌などが
爆発的に繁殖するという事は実は珍しいのです。
逆に言えば、何らかの病害、虫害が出たなら、
その原因となる歪みがどこかにあるわけです。
よろしいですか?
菌や虫は結果です。
原因じゃありません。
それは人間が余計な事をしたせいかもしれないし、
気候などの自然要因の場合もあります。
その原因を何とかする事なしに
対処療法的に農薬散布によって菌や虫を殺したところで、
根本的な解決にはなりません。
ガンを切っても、
ガンになるような生活習慣を改めなければ
根本的な解決にならないのと同じです。
もちろん対処療法に意味がないと言っているわけではありませんよ。
目的次第では効果的な事もたくさんあります。
ここで問題となるのは
僕らの“認識(あるいは観念)”です。
草や虫を犯人、すなわち
“滅ぼすべき敵”
と認識している人と、
草や虫をバロメーター、すなわち
「今ここで何が起きているのか」
を見極めるための“手がかり”、
と認識している人とでは…
全然違うでしょう?
その後の感情が、思考が、行動が、そして結果が。
参考記事:
ですから、まず全体を見極める。
そのために見ようとする。
そして、もしあなたにとっての目指すところが栽培や収穫なのであれば、
その上で作物をちょっとだけ贔屓してあげればいいんです。
特に作物が幼い頃は周りの草に負けやすいので、
日当たりと風通しを確保するために周りの草を刈ってやる
という事をよくします。
ですがその場合も、
なるべく一気に環境を変えすぎない事です。
特に夏場などは一気に刈ってしまうと
草が地下から吸い上げる事で行われていた水分供給が絶たれます。
それによって乾燥しやすくなります。
また、虫の中には人間向けに育てている作物よりも
周りに生えている草の方が好きな者達もいるのです。
そこで草を一気に刈ってしまうと、
その虫達は作物以外に食べるものがないので、
仕方なく作物を食害します。
仕方なく、です。
ですから必要最小限の手を貸し、
それ以外の余計な事はなるべくしない。
どこか子育てにも通じるものがありますよね。
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肥料・農薬を必要としない
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肥料・農薬を“必要としない”となっている事に注目です。
これ地味に超重要です。
先の“耕さない”の項でもそうでしたよね?
“耕してはいけない”のではなく
耕す必要がないから耕さないのです。
同じように肥料や農薬も
“使ってはいけない”のではなく、
使う必要がないから使わないのです。
農薬については前の“草や虫を敵としない”の項でも
その理由について触れましたね。
補足すると、農薬の種類によっては
野菜を食害する虫の“天敵”となる肉食昆虫なども
全滅してしまうことがあります。
これでは“食べたり、食べられたり”というバランスが崩れてしまいます。
もちろんその後、同じ農薬を使わずに
長い時間が経過すればまたバランスは戻ってきますが、
これは言わば抗ガン剤によって
免疫力まで低下してしまったような状態です。
かなりリスキーな状態だというのがお分かりかと思います。
そのまま野菜を食害する虫が増えなければ
野菜は食害されないかもしれませんが、
下手すれば天敵がいない分、爆発的に繁殖する事も起こり得ます。
だからなるべく菌や虫のパトロールは
菌や虫(場合によってはトカゲや鳥なども)に任せておいた方が、
効率的だし、合理的だと思うわけです。
人間の健康においても、薬は飲んじゃいけないわけではないけれど、
薬漬けにするよりは免疫力を高める方が好ましいでしょう?
それと同じです。
(まあ、そうは言っても自然農で農薬を使う人はいないと思いますが)
それに作物を収穫して食べる時の事を考えても、
なるべく農薬は使っていないに越したことはありませんからね。
あ、そうそう。
たまに
「虫食いがある野菜の方が健康にいい」
という人がいますが…
ここまで読んで頂いた方なら、
それが眉唾だという事がお分かりになるかと思います。
多少の虫食いはしょうがないにしても、
たとえばキャベツやレタスがレースのカーテンみたいに
穴だらけにされていたなら、生育環境に問題ありの可能性大です。
(肥料を大量に投入しているとか)
そんな環境で育った野菜って…
本当に健康にいいんでしょうかね?
そうかと言って、見かけがいい野菜も
本来は穴だらけにされるような状態なのに
農薬によってそれを抑えているだけだったとしたら…
ねえ?
まあ、その辺は僕も医者や研究者ではないので
あまりはっきりした事は言えません。
さて、農薬を必要としない理由については
この辺にしておきましょう。
では肥料、すなわち養分についてはどうなのでしょうか?
耕さない事で草が生え、地上部、そして地下部ともに
多様な生命がその周りに棲まうようになりますよね。
そして彼らが命を全うするとその亡骸をその場に横たえます。
ですから、彼らの亡骸は年々積み重なっていきます。
これを自然農では“亡骸の層”と呼んでいます。
この亡骸の層はまた別の命にとっての糧となります。
そこは死の世界ではなく、実は生命活動が活発な部分なのです。
この“亡骸の層”を含めた、
命のリレーとも呼ぶべき「養分の“めぐり”」があるため、
先の図1における②草原〜⑤陰樹林にかけては植物が育つのに
必要十分な養分が自然に供給されるようになります。
※「絶対に図1までスクロールしたくない!」という人のために↓
図1:植物遷移(サクセッション)(再々登場!)
草ぼうぼうの空き地や、雑木林なんかも
誰も肥料を与えていませんが植物達は元気に育っていますよね?
つまり人間が手を加えなくても、
本来そこに棲まう生き物達によって土壌というのは
豊かになっていくものなんです。
ですから、
肥料は本来必要ない、となるわけなんです。
ただし例外もあるため、
肥料は必要不可欠なものではない
くらいに言い直しておきましょう。
(その理由は次回お話しします)
逆に言えば、“耕す”という行為はこのめぐりを断ち切る行為なんです。
だから他所から堆肥や肥料などを持ち込まないといけなくなるんですね。
確かに、耕すと土中に空気が入る事で有機物の分解が進むので、
一時的に作物がよく出来る事があるんです。
でも言わばこれは貯金を一気に使い果たしてしまうようなもの。
次作時はどこかから補填しないと足りなくなっちゃうんです。
対して、亡骸の層は“資産”のようなものです。
構築するのに時間はかかりますが、
一度構築すればそれがまた利益を生んでくれます。
夢の利息生活です。笑
ちなみに川口さんの田んぼを見学させて頂いた際、
その亡骸の層を見せて頂きました。
だいたい10cm前後の層になっていました。
それが形成されるのにどれくらいかかったか?
…
…何と、およそ30年ですよ!
田んぼでこれですからね。
田んぼより比較的土を頻繁に動かす畑ならもっとかかるでしょうね。
これ聞いたら勿体なくってとても耕せないっすよね。笑
そして僕はこの話を聞いてからというもの、
草むらや雑木林を歩くと、ついつい足元をかき分けてしまうんです。
その場の亡骸の層の状態を確認するために。
ですからこれを聞いたあなたも、
きっと今日からやってしまうでしょう。笑
あ、もちろん「亡骸の層が形成されるまでは育たない」、
というわけじゃありませんのでそこはご安心を。
(どうしたらいいかについては次回の記事にて)
命のめぐりの中で
さてさて、ここまでお話ししてきた内容を踏まえて、
自然農の田畑における命のめぐりを示したものが下の図2です。
図2:自然農の田畑における命の“めぐり”
こうして図にしてみると
命のめぐりがイメージしやすいのではないかと思われます。
そして自然農とはいわば、
この“めぐり”の仲間に入れてもらうという事なのです。
ですから本当は僕らの排泄物も畑に還すというのが理想ではあります。
誤解のないように申し上げておくと、慣行栽培も含めて
あらゆる“農”がこのめぐりの中にあるんですよ?
そればかりか工業も都市生活も、僕らの営みすべてが。
よくこういう発信をしていると、
「慣行栽培を否定している」と取られる事もあるのですが…
慣行栽培にもメリットがたくさんあるんです。
はっきり言って、
僕は慣行栽培による現在の食糧生産システムが
間違っているだなんてカケラも思っちゃいません。
僕自身もめっちゃお世話になってるし。
やり手農家の友達もいるし。
彼らを心から尊敬してるし。
(それは慣行栽培に限った事じゃなく、
他のあらゆる“農”に対しても同様です。)
そしてもちろん自然農にもデメリットはあるんです。
(機械化による大量生産に向かない、
草や虫を嫌う人に文句を言われる、など)
では何故今回、
自然農をオススメするような話をあえてしたのか?
まず話の流れを思い出してもらいたいんですが、
僕は今回、自給菜園の方法として自然農をオススメしているんですね。
そして前回の
【自給菜園】株にしますか?それとも蕪(カブ)にしますか?
という記事でも申し上げたように、
自給菜園は僕ら一人一人の人生のリスクヘッジなんです。
お金だけが命を繋ぐ手段だった場合、
流通や経済にもしもの事があった時にパニックになるかもしれませんよね?
だから命を繋ぐ手段は複数持っておいた方が安心じゃないですか?
…という投げかけ、提案なんです。
そこに共感、あるいはご興味をお持ちになったからこそ
あなたはこの記事を読んで下さっているのですよね?
だったらですよ?
石油がないと使えない耕運機、
自給菜園ではなるべく使わない方がよくないですか?
そう言いつつ、僕も石油ゼロではないですよ?
畑の中でも作物がない場所だったら、
草刈りにエンジン刈払い機を使う事もあります。
種を買いに車を走らせる事もあります。
これだって大きなくくりで言えば
自給菜園に石油を使っていると言えますよね。
でも草刈りはもしもの際は大鎌で刈るなどの代替策があります。
種は自家採種する、仲間に譲ってもらう、
あるいは貨幣経済が有効なら近場で買うという手があります。
つまり最悪、石油がなくなっても代用が利きます。
でもトラクターで耕す事を前提にしちゃうと、
これは代替策を挙げるのがなかなか大変です。
え?鍬で耕せばいい?
…ふむ。
でも、そもそも“耕す”という行為自体、
自給菜園ではなるべくしない方がよくないですか?
耕して亡骸の層がなくなると
必要なものを人間がすべて用意しなきゃならなくなる、
って言いましたよね?
って事は肥料の流通が途絶えたら…
作物が育てられない事になりますものね。
農薬についてもそうです。
僕は過去にやっていたから言えるんですが、
慣行栽培における肥料の量の調整って結構難しいんです。
ちょっとでも少ないと育たないし、
ちょっとでも多いと虫が湧くし。
だから育たないよりはマシなので、少し多めに振るんです。
で、“虫は農薬で抑えればいいから”って。
…ってことは農薬が買えなくなったらオシマイですよね?
出来なくはないですよ?
「それが俺のやり方だ!」ってこだわりの食べ物を作るのが
その人の人生の目的ならいいんです。
でもここではどちらかと言えば
各々が自分らしい生き方を表現する、
その基盤としての自給菜園がテーマなわけです。
なら、なるべくしんどい事は避けたいと思いませんか?
安全かつ、一番効率良いやり方で
パパッと済ませちゃいたいと思いませんか?
でね、それは自然のめぐりに任せるようにして、
あとはちょっと人間が手を貸してあげるだけで
出来ちゃうんですよ?
ほぼリスクなしで。
(ゼロじゃないけど)
ね?
自給菜園のやり方として、
自然農をオススメしたくなる気持ち、
分かりますでしょう?笑
100人いたら100通りの自然農があっていい
しつこいようですが、別にいいんですよ?
耕したって、肥料入れたって、農薬使ったって。
100:0の話じゃないんですから。
「〜してはいけない」という話じゃないんですよ。
潔癖になる必要はないんです。
どんな方法を取ろうが、それは自由なんです。
それは自然農をやる際にも言える事です。
2011年に田畑を見学させて頂いた際、川口さんは仰っていました。
「自然農は誰のものでもない」と。
「だから誰でも自然農をやっていると公言していいよ」と。
つまり100人いたら100通りの自然農があっていいんです。
というか、そうでなければ嘘です。
自然農法とも自然農業とも呼ばないでしょう?
何故ならそれが“メソッド”や“産業”の別のないところでの
純粋な人間の営みである“農”の在り方、
ひいては僕ら一人一人の生き方を問うものだからです。
メソッドにこだわれば
やれ「あいつは邪道」だの
やれ「〇〇先生の許可とったの?」だの
権利や派閥、序列などに足元をすくわれかねません。
産業にこだわれば
やれ「売れなければ意味がない」だの
やれ「そのためには何をしても許される」だの
妄信的、狂信的なマインドに縛られかねません。
※先に述べた自然農法や自然栽培などがそうだと
言っているわけではありません。
もちろん自然農だって
今日お話ししたような基本的な“やり方”もあれば、
自然農で育てた野菜を売って生計を立てている人だっています。
でも、そこに囚われれば本当のことが見えなくなります。
大事なのはそれらの別のない根っこのところでの
“生きる”という事なのですから。
だから自然農って名前、実に本質を表していて僕は好きです。
それが、川口さんとは考え方もやり方も
おそらく完全一致はしていないであろう僕が
今だに「自然農をやっている」と公言している理由です。
(とは言え、僕のは割とオーソドックスな自然農なんですけどね。笑)
前編のまとめ
というわけで今回は
「“やり方”としての自然農」
についてお話させて頂きました。
ここで多くの方は「あれ?」と思ったはずです。
- 耕さない
- 草や虫を敵としない
- 肥料・農薬を必要としない
- 命に沿い、従い、応じ、任せる
という自然農の特徴のうち、
- 命に沿い、従い、応じ、任せる
がまだ登場していないんです。
それには理由があります。
実はこれこそが自然農の本質であり、
最もシンプルながら、最も深いテーマだからなんですね。
ですので、これだけは後編に回す事にしました。
(とは言え、今回も少し触れたんですけどね)
よって次回は
「“在り方”としての自然農」
についてお話したいと思います。
次回:
【自然農(後編)】要するに“在り方”も“やり方”も「〇〇にしたらいい」
最後までご覧頂き、ありがとうございます。
素敵なムカデライフを。