4/21(火)は竜ヶ崎・自然農の会…
…のオンラインお話会でした。
(もはや竜ヶ崎と関係ない件)
新型コロナウィルスの影響で
集まって作業するのは難しくても(※)、
そもそもお喋りの時間が長い会なので
それだけはやろうかという事で。
※とは言え放置はできないので
23(木)に世話だけしてきました。
(今回の写真はその時のもの)
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で、オンラインお話会の結果は…
実にカオスでした。笑
だいたいオンラインミーティングって
全員が話に参加できている事は稀ですよね。
(多分)
なので2〜3人くらいが会話している間、
他のメンバーはじっと画面の前に座って
聞いている事が多い…気がします。
でも今回は
会話に参加していないメンバーは
それぞれで好きな事をやっているというね。
何かを食べていたり、
洗濯や掃除をしていたり、
竹でカゴを編んでいたり…
何を隠そう、僕自身も
自分が参加していない時は
例のベンチを作っていました。
で、時々話を振られたら
「はいはい〜」と作業を止めて
会話するという。
実にいつもの竜ヶ崎の会っぽい雰囲気でした。笑
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さて、このフリーダムな空気が許される
竜ヶ崎・自然農の会に参加して
改めて現在の世の中の在り方を
見つめ直してみました。
特に我が日本の世情について。
「相互監視」と「同調圧力」
これは日本の良いところでもあり、
悪いところでもあります。
もともとそういう傾向があったのが
新型コロナウィルス騒動によって
より強調されているように感じます。
それ自体が絶対的に良いか悪いか
一概には言えません。
ただ人間は一人一人が
異なる価値観を持っています。
誰一人として同じ人間はいないのです。
ですから全員が同じ考えを持ち、
全員が同じ行動をとる、という事は
本来、不自然な事なのです。
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団結する事が必要な場面は
確かにあります。
ですが、本当のところ
“皆”や“お国”のために生きている人は
ただの一人もいないのです。
じゃあ、何のため?
…そうです。
誰もが“自分の価値観”を
満たすために生きています。
健康、ビジネス、お金、
家族、社交、精神、学習…
いずれかの分野に属する
大切な物事に偏向的注意力を
向けています。
SNSの投稿などを見てみれば
見事に各々の価値観が色濃く出ています。
コロナで変わった?
いえいえ。
“強調”されただけです。笑
その人の“個性”が、“才能”が、
そして“大切にしている事”が。
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団結の話に戻りましょう。
ある共通の目標に向かって
皆が協力しなければならない時、
どうするのが一番効率が良いのでしょうか?
僕個人的には、
一人一人が“自分の価値観を満たす事”を
諦めない事だと思います。
そしてそのために
“正しく智慧を働かせる事”だと
強く思います。
空気を読むのは悪い事ではありません。
でも自分を捨ててそれに従属する事は、
一時的にはまとまったように見えても、
やがて必ず破綻する時がきます。
捨てきれるわけがないからです。
だったらどうすれば
自分の価値観を満たしながら、
同時に関わる他者の価値観を
満たす事が出来るのかを考える方が
総合的、長期的に見ても
効率が良いと思いませんか?
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もちろんこれは
口で言うほど簡単ではありません。
直接関わる人達との
コミュニケーションを改善するだけでは
どうしようもない規模感の物事も
この世には存在するからです。
今回のコロナショックのように。
では僕ら一人一人が
自分の価値観を満たしながら
そういった怪物に対処するために
何が出来るでしょうか?
…
僕は現システムにおいては、
やはり
“選挙に参加する事”
が大切だと思います。
自身が立候補するにしろ、
任せたい人に投票するにしろ、
そこに参加する事すら、
大半の日本人は放棄しているのです。
特に今回の新型コロナでは
重篤化しにくいと言われているのに、
自粛要請によって職を失ったり
楽しみを奪われたりしている若者達。
ただでさえ
人口に占める比率が少ないのに
選挙に参加しなさすぎです。
だからこうなっているんじゃないですかね?
別にお年寄りを切り捨てろと
言っているわけじゃないですよ?
僕にも2人の祖母をはじめ、
大切なお年寄りの方達はいますから。
ただ発症すれば重篤化しやすいけれど
(もちろん人にもよりますが)
比較的、財産的に余裕がある
お年寄りを守る事に特化した対策を、
僕らの世代までもが
コピペしたようになぞる事が
果たして総合的、長期的に見て
本当に有効なのかは甚だ疑問です。
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…でもね、考えてみて下さい。
そりゃそうなるに決まってるじゃないですか。
多くの若者は、選挙に参加しない事で
“自分の価値観を満たす事”を
端から放棄しているんですから。
そもそも母数が多い上に、
若者よりも選挙に行くお年寄り寄りの
政策が打たれるのは当たり前でしょう?
政治家とは次の選挙にも当選する事を
見越して行動するものなのだから。
それが“彼らの価値観”なのだから。
ですからそれを否定せず、
その上で自分の価値観を満たすために
智慧を働かせ、行動しなければならないのです。
その中のひとつが
“選挙に参加する事”です。
声を無視できないくらいに
そこに関わる事です。
多分、僕なんぞが言うまでもなく、
不条理に行き遭った若者達は
そう確信し始めているはずです。
だから今回のコロナショックで
おそらく色々変わります。
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繰り返しになりますが、
大事なのでもう一度言います。
捨てきれるわけがないんです。
自分の価値観を。
どれだけ周りの空気に従属するポーズをとっても。
だったらどうすれば
自分の価値観を満たしながら、
同時に関わる他者の価値観を
満たす事が出来るのかを考える方が
総合的、長期的に見ても
効率が良いと思いませんか?
これは自分の価値観への
素晴らしき試練です。
大好きなゲームの
より難しいステージに挑戦するように
“偏向的注意力”を発揮して
一度きりの人生を
楽しみ尽くしてやろうではありませんか。