竜ヶ崎・自然農の会(2019.05.14)

【そもそも“〇〇”がなければ、せっかくの知恵も発揮しようがない】

5/15(火)は竜ヶ崎・自然農の会。
イチゴ、ラディッシュ、シュンギク、エンドウ、ソラマメの収穫の他、
サトイモの植え付け、キュウリの行灯作りなどを行いました。

 

サトイモは前日に種芋をジョイフル本田に買いに行ったのですが、
売り切れだったようで見つかりませんでした。

 

基本的に隔週ペースで行っている会なので、
この機を逃すと植え付けチャンスは2週間後…

間に合わなくはないけど他にもやることがあって
作業量的に結構キツくなってくるので、
出来れば今週がいいんだけどな〜と途方に暮れていたんですが…

 

「もしや」と思い、ジョイフルのガーデンセンターの隣にある、
地場産野菜の直売コーナーに入ってみたら
何と種芋にちょうど良さそうなサトイモが売ってました。笑
(5枚目の写真)

しかも芽も残ってる!ラッキー!
(゜∀゜)

 

ということで、今回はそれを買って植えました。

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「“種用”のサトイモを植えなければならない」

という固定観念に囚われたままだったら、
きっと“食用”のサトイモを探そうとも思わなかったでしょう。

 

でも考えてみたら、そもそも“種用”や“食用”の別なく、
サトイモはサトイモなわけです。
食用として売られていようが、芽さえ無事なら植えられます。

(あ、でも逆もまた然りとはいかなくて、
種用に売っているサトイモは消毒してる場合があるので食べないでね)

 

そうかと言って、同じ食用でも冷凍食品コーナーに置いているような
皮を剥いてカットしてあるサトイモを植えても芽は出ません。

ですからこの場合、

  • 共通点
  • 相違点

この両者が分かればいいわけです。

 

こういうことって僕らの日常生活においても大事ですよね。

たとえば社会性や人間関係においても、
“すべての人間に共通している部分”もあれば、
“一人一人異なる部分”だって当然あるのです。

 

ここを見誤ると、
画一的で多様性を認めない社会になったり、
逆にカオス過ぎて安心できない社会になったりするわけです。

 

そして、それを見極める上で欠くことのできないものがあります。

何だと思いますか?

 

そう、“目的”です。

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今回のサトイモの件で言えば、
「サトイモを育てて食べる」とか
「自然農の会の作業を考えて、皆を楽しませる」

といった大きな目的があり、そこから具体化していって
「サトイモを植える」という目的があったわけです。

 

この目的がなければ知恵の絞りようがありません

 

これを僕らの人生単位に置き換えて考えればそれは
いわゆるミッション(使命)というやつです。

 

などと言うと何だか小難しく聞こえますが、
要するにそれって“愛してやまないこと”ですよね。

 

「やりたい」とか「やるべき」とか
「好き」とか「嫌い」とか

それらすべてを超越して、
“自然にやってしまうこと”
“どうしても望んでしまうこと”

 

すなわちその人が“最も価値を置いていること”
そんな風に捉えればいいんじゃないでしょうか。

 

この“目的”がはっきりすればこそ、
真に知恵も力も発揮できるというものです。

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そうそう、さっき社会性の話を出しましたが、
国でも地域コミュニティでも会社でも学校でも、
もしその“社会”に違和感を感じるようでしたら…

 

その社会の“目的”を見極めてみると、
違和感の正体がはっきりするかもしれません。

 

この場合の“目的”とは
「こうあるべき」といった理想ではなく、
あるがままの現状から読み取れる“目的”です。

 

さらに言えば、それはその社会における、
“立場上の”リーダーにとっての“目的”とは限りません。

末端の構成員の方が影響力が大きければ、
そっちの方が実質的にはリーダーなわけですからね。