竜ヶ崎・自然農の会(2019.08.06)

【その“妙”を知る】

一昨日8/6(火)は竜ヶ崎・自然農の会。

トマト、ナス、キュウリ、シシトウ、
ズッキーニ、ニンジンの収穫の他、
各種野菜の草刈りを行いました。

 

ところで今回、畑に行ってみたら
エダマメやニンジン、ナス、
ピーマン、シシトウなどの葉が
メッタメタに食べられていました。

おそらくマメハンミョウの仕業。

トマトのあたりにも湧いていたので
もしかしたらトマトも…

————————————

こういった事が起きた時、
「“害虫”が発生した」という人と
「“虫害”が発生した」という人がいます。

文字の順番が違うだけですが、
これって結構その人の“物事の捉え方”を象徴している気がします。

 

“害虫”と呼ぶ場合は、
その虫の存在そのものが“悪”というニュアンスがあります。

一方で“虫害”と呼ぶ場合は、
虫の存在そのものに対する“善 or 悪”といったジャッジはしていません

前者にとって虫は原因ですが、
後者にとって虫は原因ではなく、結果なのです。

 

さらに言えば、
虫が原因ではないと捉える人の中にも
“人間が原因”と捉える人
“人間もまた原因ではない”と捉える人がいます。

“原因”というか、この場合は“犯人”って感じですね。

「この“悪い事”を引き起こしたやつは誰だ?」

犯人探しをして、それを正そうと躍起になっているわけです。

 

確かに人間が畑の環境を変えたせいで
虫が湧いてしまう事はあります。
(たとえば草を刈り過ぎたり、補いの米ぬかなどが多過ぎたり…)

 

ですが、その場合においても
人間は原因、犯人、あるいは悪なんでしょうか?

もっと大きな営み流れ相互作用
あるいは法則のようなものが
僕ら人間や虫、そして野菜を通して
ただ働いただけなんじゃないでしょうか?

だとしたら、何かを“正そう”としている人は
この宇宙の在り方、あるいは自然法則そのものを
正さねばならない事になります。

これはシェンロンでもさじを投げそうな願いですね。笑

————————————

では、困った時の占いババ…じゃなくて
困った時の“そもそも論”

そもそもね、
虫害が発生した事は“悪い事”なんでしょうか?

それによって“良かった事”は無かったんでしょうか?

また食害を受けた野菜以外に
生き残った野菜は存在しないんでしょうか?

 

 

これは野良仕事に限った事ではありません。

「悪い事が起きた!」と感じた時、
それは同時に必ず同じだけの良い面を含んでいます。

また、空間の隔たりを問わず、
あなたに恵みを与えてくれている人や物が
まったく同時に必ず存在しています。

 

もちろんそれは
「良い事が起きた!」と感じた時もまた然りです。

必ず同時に同じだけの悪い面を含んでいます。

空間の隔たりを問わず、
あなたに試練を与えてくれている人や物が
まったく同時に必ず存在しています。

その絶妙さ加減を感じ取れた時、
自分を、他人を、この世界そのもののを
信頼できるようになってきます。

 

自分の中に“良い or 悪い”のジャッジが生まれ、

感情に振り回されたり、自分や他人に

「こうでなければならない」
「こうすべき」

という観念を押し付けたりしている事に気付いた時、

ぜひ一度立ち止まって、
その“妙”に意識を傾けてみてもらえればと思います。