道に1円落ちていたら拾いますか?【竜ヶ崎・自然農の会(2019.11.26)】

11月26日(火)は竜ヶ崎・自然農の会。

雨が上がるのを待って、
ダイコン、カブ、ハクサイ、ブロッコリー、
シュンギク、キャベツ、ミズナ、コマツナ、
ホウレンソウ、ニンジン

…などの収穫をメインに行いました。

 

その時の動画:

 

間引き採りしながら育ててきた野菜達も
売っているのと遜色ない大きさになってきました。

 

というか本来、
小さかろうが完全な命なんですよね。

命を頂く事に変わりはないわけです。

 

ですが、どうも僕らは命そのものではなく
その大きさや味、栄養といった
“付加価値”にばかり目がいってしまうようです。

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それに関連して…

以前、ある方のセミナーにて

「道に1万円落ちていたら拾いますか?」

という質問をされた事があります。

 

あなたはどうですか?

「交番に届けなアカンやんけ!」
というのは一旦、棚に置いといて
1万円、拾います?

 

…おそらく「Yes」ですよね。

 

 

ではこれが1円だったらどうですか?

 

 

 

もしここでも「Yes」と答える方は
お金そのものに価値を置いています

逆に「No」と答える方は
お金の持つ“購買力”に価値を置いているのです。

 

前者はお金を増やす事に知恵が働き、
後者はお金を遣う事に知恵が働いています。

経済的に成功するのはどちらでしょう?

 

…もちろん、前者ですよね。

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でね、これを僕らの“人生”に置き換えたら
どうなるだろうと思ったんですよね。

「こんな人生が良い!」
「こんな人生は嫌だ!」

と、僕らはよく口にします。

 

でも質が高い or 低いというジャッジは
さっきのお金の“購買力”という概念に似ていませんか?

 

もしそうならお金の場合と同じように

どこか自身の外側の物事を手に入れるために
人生を遣う事に知恵を使っている気がします。

 

たくさんの物や人、あるいはお金に
囲まれる人生にはなるかもしれません。

…でもそれで人生って充実するんですかね?

 

逆に質が高い・低いなどの
分別のないところでの自分の人生
そのものに価値を感じていれば

まるでお金が複利で増えるように
人生は充実していく
というかすでにしているんじゃないかと。

 

まあでもこれは価値観の問題なので、
頭であれこれいじくって変えられるものじゃありません。

ただ本来は自分の人生そのものに
価値を置いているのに、他者との比較によって

「こんなんじゃダメだ!」

自身の価値観にない生き方を
選択してしまいがちな方もいると思います。

 

そんな方は、どうかご自身の人生が
たった1円ぽっちに満たないように感じたとしても
周りに流されずに拾ってあげてほしいと思います。